LPB5「ふるさととやま歴史紀行~越中にゆかりのある武将編~」第4回を実施しました。 [更新日:2026年8月7日] 日 時 令和8年8月3日(月)13:30~15:30 会 場 高岡地区センター学習室 内 容 前田・佐々の抗争と能登末守城 講 師 宝達志水町教育委員会生涯学習課 学芸員 麦居 和真 氏 【講座の概要】 1.「末守」「末森」「末盛」― 漢字の違いに隠された歴史昔の記録を読み解くと、同じ城でも立場や時代によって表記が異なる興味深い事実が見えてきくる。当時、現地で戦った前田利家や羽柴秀吉らは手紙に「末守」と記した。一方、柴田勝家らは尾張の別の城を連想して「末森」と書き、この表記が江戸時代以降に定着した。また、織田信長の記録(『信長記』)には「末盛」の字も登場し、文字ひとつから当時の武将たちの認識の違いが浮かび上がる。 2.全国的な大合戦の「北陸版」だった末守合戦一見すると地方の争いに見えるが、実は日本全体を巻き込んだ大事件と深く連動していた。天正12年(1584年)、天下をめぐり羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康が対立した「小牧・長久手の戦い」。北陸でも秀吉方の前田利家と信雄・家康方の佐々成政が激突した。成政に包囲された末守城へ利家が駆けつけて救援したこの戦いは、全国規模の勢力争いが北陸へ波及した象徴的な戦いであった。 3.一進一退の攻防から「加賀百万石」の礎へ「利家の大勝利」と伝えられてきたこの合戦だが、本当の決着は翌年まで持ち越されていた。伝承では前田軍の圧勝と語られがちだが、実際には一進一退の攻防であった。決着は翌年、秀吉が自ら大軍を率いて越中へ出陣し、成政を降伏させたことでつく。これにより越中の地が前田家に与えられ、のちの加賀百万石(加賀・能登・越中三国支配)の礎が築かれた。 4.敗将・佐々成政の知られざる素顔「秀吉に嫌われた敗者」という成政のイメージは、近年の研究によって大きく見直されつつある。最後は肥後当地の失敗で切腹したことから悲劇の敗将として語られることの多い成政だが、最新の研究では、秀吉は成政の統治能力を高く評価し、重用していたことが分かってきた。講座では、従来のイメージとは異なる佐々成政の人物像についても、最新の研究成果をもとに紹介された。 【受講者の感想】 ・「豊臣兄弟!」のドラマにも絡んで末守城の話は面白かった。こんなに詳しく聞いたのは初めてです。講師の先生の詳しい説明にただただ感心しました。・戦国時代の一番面白い場面。その時代の地元の動きを詳しく説明してもらって勉強になりました。歴史物で一番興味のあるところ。・地元での内容だけに知っている地名や城跡名等、身近に感じて聞いていてワクワク感が出る良いお話でした。このように狭い地元、大きく全国的な背景を組み合わせた講座はとても興味がわきます。 【お知らせ】 LPB5「ふるさととやま歴史紀行~越中にゆかりのある武将編~」は今回で最終回となります。 ありがとうございました。 お問い合わせ先 高岡地区センター 〒933-0023 高岡市末広町1-7 ウイング・ウイング高岡7F 電話番号:0766-22-5787 FAX番号:0766-22-5872