令和8年度 高岡地区「教養講座」 開講式、第1回を実施しました。 [更新日:2026年5月18日] 令和8年5月15日(金)14:00~16:00 ウイング・ウイング高岡 503/504研修室 開講式 開講の言葉 高岡地区生涯学習団体協議会 会長 上 忠 氏 第1回教養講座 ある農民運動家の生と死 「戦前」学ぶ手がかりに 講師 北日本新聞相談役(元高岡支社長) フリーライター 中島 利明 氏 講座の概要 梶哲次を知っていますか 梶哲次は、高岡市立野に生まれた社会・農民運動家である。彼が活動した大正末〜昭和初期は、軍靴の足音が高まる「戦前」であり、治安維持法による弾圧が強まった時代だった。立野地区は北陸道の宿場町として栄え、都市的性格をもつ農村で、情報や思想が流入しやすかった。また、哲次の父・和三郎は新聞販売店を営み、自由民権運動に関心をもつ人物だった。哲次は立野小学校、高岡中学で学び、反骨精神が強く「学校一のきかん坊」と呼ばれた。中学時代には同級生で後に高徳院住職となる佐藤密雄に影響を与え、既に社会主義思想に傾いていたとされる。 研究から実践へ 1922年に高岡中学を卒業後、川崎銀行に就職するが、学問への意欲から青山学院に入学。学生運動が高揚する中で学連の活動家となり、軍事教育反対運動で退学処分を受けた。その後、経済史研究者・高橋亀吉の研究所に入り、ケインズ『金解禁と国民経済』の翻訳を出版した。 慈悲と博愛に生きた「殉教者」 1926年、肺結核を患って帰郷、療養しながら農民運動に転じ、立野村で全国農民組合支部を結成した。小作人の要求を100%掲げる急進的運動を展開し、全農富山県連の中心人物となった。一方、治安維持法は社会主義運動を弾圧し、三・一五事件以降は最高刑が死刑となるなど強権化した。哲次も1933年、農民運動方針の協議中に逮捕され、投獄される。結核が悪化し、危篤状態で仮出獄した翌日、1934年5月12日に29歳で死去した。短い生涯ながら、農民の権利擁護と社会改革を目指した哲次の行動は、戦前の自由・人権が抑圧された時代における貴重な抵抗の記録である。 受講者の感想から 高岡にいながら、「梶哲次」の人物像や活動したことも知らなかったことは、恥じる限りです。とてもためになりました。 生成AIの回答等、深く最近まで研究されたことと感心しました。たくさんの資料からも新たな研究が生まれたと感心して聞いておりました。持ち帰った資料で復習します。 次回予告 第2回高岡地区教養講座 6月19日(金)14:00 会場:ウイング・ウイング高岡 1階交流スペース 演題:介護の仕事とビートルズと 講師:川手 照子 氏(認知症ケア上級専門士) 地主 直之 氏(ギタリスト) お問い合わせ先 高岡地区センター 〒933-0023 高岡市末広町1-7 ウイング・ウイング高岡7F 電話番号:0766-22-5787 FAX番号:0766-22-5872