村上家住宅(むらかみけじゅうたく)
南砺市(旧平村)の上梨集落の中で一段と威容を誇っている建物である。
この家は、もと床部分がオエ・デイ・チョウダ・オマエの4室からなっていたが、家長の寝室だったチョウダの桁行きが2間となっていることは、五箇山民家のやや発展した段階を示している。
その他の特徴として、次男坊以下や使用人の寝室にあてられた中2階の共同部屋、チョウダ(寝室)の入口の敷居を高くした帳台構え、床棚の元祖といわれる一文字棚、塩硝の製造跡が残っていることである。
建てられた年代は、石山合戦の際、建築中だったという言い伝えがあり、これが正しければ天正8年(1580)のこととなる。しかし、形式・手法などからみて江戸中期をさかのぼらない頃とされている。
建築当時のままで保存されており、後世になって奥の方が増築されたが合掌造りの最も基本的な形をとどめている。
この家は、もと床部分がオエ・デイ・チョウダ・オマエの4室からなっていたが、家長の寝室だったチョウダの桁行きが2間となっていることは、五箇山民家のやや発展した段階を示している。
その他の特徴として、次男坊以下や使用人の寝室にあてられた中2階の共同部屋、チョウダ(寝室)の入口の敷居を高くした帳台構え、床棚の元祖といわれる一文字棚、塩硝の製造跡が残っていることである。
建てられた年代は、石山合戦の際、建築中だったという言い伝えがあり、これが正しければ天正8年(1580)のこととなる。しかし、形式・手法などからみて江戸中期をさかのぼらない頃とされている。
建築当時のままで保存されており、後世になって奥の方が増築されたが合掌造りの最も基本的な形をとどめている。
指定・種別 |
国・有形文化財(建造物)
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員数 |
1棟
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指定年月日 |
昭和33年5月14日
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所在地 |
南砺市上梨725番1
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所有者・管理者 |
村上忠兵衛
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問合せ先 |
村上忠森
0763(66)2711 |
詳細関連情報 | |
地図 |