日本は他国に比べ急速に高齢化が進み、1976年に医療機関で死亡する人の割合が自宅で死亡する人の割合を抜き、病院や施設でなくなる人が増えている。
自宅でのように最期の時間を過ごせるようにと考え、診療所と自宅となるアパートを隣接させ、訪問診療をする医者や看護師、介護福祉士、社会福祉士などすぐ近くにいて、みんなで協力して、末期の患者を看ることのできる『ものがたりの郷』をつくった。最期まで地域で生きたいと考える人を支えることが目的である。ここは、ペットを連れてきたり、お酒を飲んだり、自宅にもすぐに帰ることもできる場所である。人が亡くなる場所ではなく、最後の時間を過ごす場所である。
このような施設をつくるきっかけとなったことの一つに、病院で救急担当をしていたときの経験がある。2週間泊まり込みで救った患者が、礼も言わずに退院し、違和感を感じた。後に警察からその患者が殺人を犯し、その後自殺を図ったと伝えられた。この時、救った命は何だったのかとたいへん悩んだ。『"命"は救ったけど救えなかった"いのち"がある』と思った。
今は経験を積み、この時の答えが導き出せた。人の命には、生命体としての生物学的な"命"と、その人の生き方や経験、背負ってきたことなどがあって今生きているという"いのち"との二つがあることに気付いたからである。
医学の目的は、"命"を救うことと"命"を延ばすこと、すなわち延命と救命である。おかげで私たちは長寿になり、それはとても重要なことでもある。反面、医学ではその方がこれまでどんな生き方をしてきたかを見つめることはない。
ある時、亡くなったおばあさんにお孫さんが『あなたはきめられたじゅみょうをせいいっぱい生きました。ここにしょうします。』と書いた手紙を枕元においた。私は医者として"命"の死亡診断書を書いたが、この手紙は、"いのち"の死亡診断書であると思った。おばあちゃんがお孫さんをどれだけ大事に育ててきたか。お孫さんがおばあちゃんのことをどれだけ親身に思っていたかがこの手紙から分かる。これが"いのち"の意味である。
同じように、ずっと小料理屋の女将さんとしてサラリーマン達を支えてきた女性が、90歳を越えて末期の状態で入所してきた。女性のビールを飲みたい、煙草が吸いたいという希望を聞いてあげた。終末期とは言え病院ではできないが、この施設ではできる。最期の時に希望通り煙草を吸わせるのは医学ではできることではない。しかし、末期患者に、したいことを我慢させることが本当に"いのち"を大切にしているといえるだろうか。
人とのつながりを考えることがある。「自分らしさ」とは自分の考えであり、他の人からはそのように見えていないことが多い。「私」は生まれた時から「私」なのではなく、他人と関わりながら「私」になっていく存在である。人とのかかわりは、最期まで大切だと考える。
認知症であっても、亡くなる寸前であっても、その方がもの語るものがたりの最期を見させていただいていると考えると、その方の人生に寄り添いながら一番良い最期を迎えられるように、サポートをしてあげたい。人の死亡率は100%である。その方の中に、もの語りつづけられるいのちがある。それを大事にしてあげたいと考えている。
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