あぼかどには、 Advanced and (一歩進んだ) Voluntary (心からの) Care (ケア) Do all (何でもこなす)
一歩進んだ心からのケアで何でもしますよという意味を込めた。立ち上げたときから一人ひとりの物語を大切にして安心を届けたい、本人と家族の思いを守り続けたいという思いで、毎日仕事をしている。
私の経験① 今までお世話になったおじいちゃん、おばあちゃんたちが、病院で一人で寂しく亡くなっていく。家族の面会はほんの数分で家族は病院にいて安心と言われるが、家族の面会後は、本人はずっと一人ぼっち。テレビを見るわけでもなく、一日中白い天井を見ている生活。親しい人もいない。そのうち意思表示ができなくなり、亡くなっていく。頑張って、頑張って生きてきた人生なのに、本当にそれでいいの?
私の経験② 誤嚥性肺炎で入院された方は、みんな食べたいという気持ちはある。でも、治療が絶飲食のため、病院ではあげられない。治る見込みがなくても本人の意思を確認できないまま治療を継続していく。家族は病院に付きっきりではなく、先生にお任せになり、数ヶ月点滴を入れているだけ。でもいつまで頑張ればいいの?
このような研修の機会に、あなたならそんな時どう過ごしたいですかと聞くと、必ず自分の尊厳を守って欲しいと言われます。みんな自分を大事にして欲しい。家族と過ごしたいし、親しい人と会いたい。でも家族に迷惑をかけたくない。
大きな病気にかかったとき、多くは自分の意思が伝えられないまま、知らないところで治療方針を決められてしまう。そして、必ず誰かの世話にならざるを得ない。
ACP(アドバンス・ケア・プランニング)という、人生の最終段階で受ける医療やケアについて、本人と家族などの身近な人、医療従事者が事前に話し合う人生会議がある。
自分らしく「生きる」ために、今を一生懸命生きるために、心づもりを文字にしておきましょう。
大切にしていること、自分の生き方(心得)、病気になったときに望む医療やケア(胃瘻するか、挿管するかなど)、自分で意思表示できない時に望む治療、自分の代わりに判断して欲しい人、これだけは嫌だということ、最期まで暮らしたい場所
家族なら言わなくても分かるだろうと思うかもしれませんが、言わないと分かりません。
「なるべく家で過ごさせてあげたいけれど、家で介護できなくなったら、病院か施設と思っています。」と多くのご家族が考えている。訪問介護やホームヘルパーなどをうまく利用し、介護保険などを利用すれば費用負担もあまりかからず、ほとんどが最期まで家で過ごすこともできる。
自宅で最期を迎えることができれば、涙あり、笑顔あり、残された家族への生きる力へと繋がる。家族が抱え込み、誰にも言えず孤立すると、本人も家族も幸せではない。最期まで本人も周囲の人も心豊かに暮らすことができる、訪問看護はそんなお手伝いが出来ればいいなと思っている。
|