LAC39「ふるさとの歴史を知り、未来を考える~まち歩きを通して~」第1回を実施しました。 [更新日:2026年10月10日] 日 時 令和8年10月7日(水)13:30~15:30 会 場 高岡地区センター学習室 内 容 高岡の地形と町名を訪ねて歩く 講 師 日本地名研究所 理事 中葉 博文 氏 【講座の概要】 1 はじめに 町名(地名)とは、一つの社会の中で、その場所や土地につけられたものであり、命名した人の思考や感情を込めたものである。そして、そこに生活する人々の文化そのものである。また、町名(地名)からは、時代の変遷や生活圏の拡大・縮小、社会構造の変化なども読み解くことができる。 2 高岡の地形と地質 高岡の市域は、西山丘陵に連なる山間部と庄川・小矢部川によって形成された平野部からなっており、平野部は砺波平野と射水平野に跨がっており、庄川扇状地や2つの河川が作った氾濫原と三角州により形成されている。市域南部は庄川扇状地の先端部にあたっており、市域内には湧水帯と自噴井帯が広がり水に恵まれた地域である。市域の平野部のほぼ中央に関野台地があり、それを囲むように小矢部川の支流河川が市内を流れている。平野部の地質は河川で流された砂礫の堆積物が多く、丘陵部は主に砂岩、泥岩や凝灰岩で形成されている。 3 近世高岡城と高岡・高岡町名の由来 1609年、前田利長により関野台地に高岡城や城下町が建設された。城下の町割りは段丘状に作られ、高岡城や現在の関野神社に至る上位段丘、現在の白銀町から平米町に至る下位段丘、現在の川原町一帯に広がる低地の三段の地に建設された。 高岡の地名の由来は、1609年に高岡城と城下町を建設するのを契機に「せきの」の名を「たかおか」に改称したといわれている。高岡の町割りについては、開町当初は地形や職業など藩の支配しやすい形で一方的に行われたと考えられる。 役町(本町)・・・開町にあたり各地から移り住んだ町人などを職種に応じて場所を指定して住まわせた地域にできた町 地子町 ・・・利長が知行10万余石分と従臣39人を金沢へ返したことにより生じた屋敷跡の空地を町人が借り受けてできた町 散町 ・・・役町、地子町だけでは土地不足になったため近辺の農村の土地を借り受けて町の中心から離れたところにできた町 上記の町名に属した町をさらに分類すると、 ①町の成立順を示す町名、②旧城下町から移住してきた町名、③そこに住む職種を示す町名、④軍事施設による町名、⑤町の地形による町名、⑥田畑や建物(神社仏閣)などに因む町名、⑦道の役割による町名 などに分類される。 【受講者の感想】 ・高岡市街地の形成の歴史を学ぶことができてよかった。また、高岡開町から400年が経ち、その中での町名の由来と変遷を学ぶことができた。 ・南砺市民から高岡市民になり60年となりましたが、今日の中葉先生の講座で高岡の町名の多さとその内容の面白さに深く興味を持ちました。次回のまち歩きの現地研修が大変楽しみです。 ・河岸段丘など地理の基礎にもとづく富山県の地形を学ぶことができて有難かったです。また、たくさんの現地の写真がありわかりやすかったです。 ・地形を知るための基礎的なことをわかりやすく説明していただき、理解しやすかったです。家に帰って復習しやすいレジュメになっているのがありがたい。 【次回のお知らせ】 日 時 令和8年10月14日(水)13:30~15:30 会 場 高岡市内 内 容 高岡まちなかぶらり~末広町から千保川まで~ 講 師 日本地名研究所 理事 中葉 博文 氏