令和7年度 高岡地区「教養講座」第2回を実施しました。 [更新日:2025年6月9日] 日時 令和7年6月6日(金)14:00~16:00 会場 ウイング・ウイング高岡 503/504研修室 演題 富山の先賢 山田孝雄 博士 講師 元富山国際大学子ども育成学部 教授 仲井文之 氏 講座の概要 山田孝雄(よしお)博士をご存じですか? 富山市総曲輪にある於保多神社宮司の次男として1875(明8)年に生まれた山田は、国学(国語学、国文学)学者として大成し、1957(昭32)年に富山県出身者初の文化勲章を受章。翌年には富山市名誉市民にも推薦されている。 1958(昭33)年、83歳で死去。墓所は五百羅漢像で有名な富山市「長慶寺」の境内にある。また、富山市立図書館には「山田孝雄文庫」がある。 主な業績 山田が成し遂げた国語学は「山田国語学」として有名で、言語の形式ではなく言語の表す内容を重視し、これに基づいた独自の体系的な文法理論「山田文法」として知られている。 また、仮名遣いや五十音図、漢語などの研究を通じて国語学の研究分野にも新方面を開いた。 年譜でたどるエピソード 代々富山藩の馬廻り役を務めた山田家。廃藩置県後、父方雄(まさお)は、前田家の歴代藩主が祀ってある於保多神社の神職を命じられ、後に新潟県弥彦神社で禰宜を務めた。「神道的な雰囲気の濃い家庭で育ち、生まれついてこの国のことを思い、天皇のことを思う」という人間として成長していく。 文法研究の原動力になった出来事 兵庫県の鳳鳴義塾で教員をしていた頃、生徒から「主語につく『は』が主格でない場合にも使われている」と質問され、答えに窮したことが、以来国文法に邁進することになったと後述している。 『日本文法論・上巻』(1902、宝文館)が発刊されたのは、孝雄27歳の時。これを学位請求論文として1904年に文部省に提出するが、学位が授与されたのは東北帝国大学文学部教授であった1929(昭4)年 孝雄54歳の時。実に25年の歳月が経っていた。 受講者の感想から 今回の講演を聴いて、素晴らしい業績を残した山田博士が富山県出身者だったことを初めて知りました。仲井先生のお話も山田博士への尊敬が基になっていることを十分感じることができました。 以前、富山地区センターで仲井先生が講師をされた「山田孝雄ゆかりの地を巡る」を受講しました。座学30分の後、仲井先生に案内していただき富山市内に残る孝雄の足跡をたどったことは、印象深く、得がたい体験になったことを思い出しました。 次回予告 第3回教養講座 6月20日(金) 14:00 演題:佐伯宗義 萬里一條鐵 ~その信念と実行力~ 講師:村井義治 氏(富山地鉄 百年史編纂事務担当) お問い合わせ先 高岡地区センター 〒933-0023 高岡市末広町1-7 ウイング・ウイング高岡7F 電話番号:0766-22-5787 FAX番号:0766-22-5872