つながるふるさと学びコース「ふるさと富山の歴史裏話」 第2回を実施しました。 [更新日:2023年11月4日] 期 日:令和5年10月20日(金) 13:30~15:30 講 師:県民カレッジ企画管理課 学習専門員 中明 文男 氏 講座題:「古文書が教えてくれる、ふるさと砺波の歴史」 講座風景 富山県民生涯学習カレッジ企画管理課 学習専門員 中明 文男 氏 今回紹介する古文書には【人名と花押と印が書かれた古文書(自宅から発見)】【年月日と記録が書かれた古文書】【活字文書】の3つがあります。 古文書に親しむポイントは、「5W1H」に注意してみることです。 江戸時代には人口増加や土地開拓などにより、米の生産性は大幅に拡大しました。しかし、三大飢饉(享保、天明、天保)により人口が激減しました。幕府は天明の大飢饉では、幕府は全国の大名に囲い米を命じ、天保の大飢饉では江戸に救小屋(すくいごや)を設置するなど、徐々に救済策が確立されました。 私の自宅にあった古文書はまさに享保の大飢饉の翌年に書かれたものであり、「今年に限って18%の減税を行う。」と記されています。ここから、加賀藩が人々を救うために行った救済策が読み取れます。 明治の近代義倉について富山大学「鷹栖文庫」で調べました。鷹栖村備荒圍金穀維持法規則に「義倉とは、凶作の年に共有物(穀物など)で郡中の人々を救うということが趣旨である」「圍穀は腐るので、貯める事ばかりに主眼置くと管理しきれず備えていることが無駄になる。適正保存量は三万六千俵である」と設定しています。これは制度の維持に主眼を置くのではなく、飢饉の際はしっかりと救済のために活用してほしいと考え記されており、ここがこの文書の素晴らしいところです。 中明先生の丁寧な解説をもとに古文書を解き明かすことにより、郷土の先人の苦労や工夫を身近に感じることができる講座となりました。 受講者の感想 ○古文書は難しく解読はできないが、その時代のその地域の様子がうかがい知れるのがおもしろい。解読していただいて初めて分かったが、昔から天災や飢饉との戦いだったのだなと思った。義倉という言葉も初めて知ったが、先人の知恵を興味深く聞いた。 ○最近、発見された古文書等の解読により事実が解明され、私たちが学んだ日本史が塗り替えられることがあります。やはり歴史は推測されるものなので、古文書が読めれば良いなと思いました。本日の講義を参考に、これからも古文書に触れていきたいと思いました。 ○あまり自分に縁のない古文書の話と言うことで心配していたが、とてもおもしろい内容で良かった。中明先生の快活な語りに引きつけられ最後まで興味深く聞くことができた。身近な鷹栖村で災害発生や凶作の際に人民を救済するため、いろいろな対策を考え記録していたことが分かった。 お問い合わせ先 砺波地区センター 〒932-0114 小矢部市清水95-1 電話番号:0766-61-2020 FAX番号:0766-61-2008